ブライアン・エプスタイン物語

たまたまテレビを観ていたら、NHKのBS放送で「時の旅人〜ビートルズを作った男」という番組をやっていた。つまり、これはブライアン・エプスタインの物語。

この番組では、ビートルズに出会うまでのブライアンがどういう人間だったかについて、リバプールまで取材に行き、当時のブライアン、及び初期のビートルズを知る人物たちに、いろいろとインタビューをしていた。それらのインタビューを聞いていると、ブライアンという人間は、ビートルズに関しては凄腕マネージャーだったらしいが、他の事に関しては、まるでダメ人間だったらしい。ちょっと意外ではある。写真で見るブライアンは、身なりもしっかりした優秀なビジネスマンって感じがするからだ。

子供の頃から学校になじめず何度も何度も転校し、軍隊はすぐに除隊させられ、実家の家具屋を手伝うも、すぐにサボってしまうし、好きな演劇を目指してロンドンの演劇学校へ行くものの、何かにつけて授業をサボり、結局挫折。と、まぁ何をやってもダメ人間。

そんな彼が、何故あれほどまでにビートルズのデビューへ熱い思いを抱いて、あそこまでの行動に駆り立てたのか、ちょっと不思議ではあった。彼はビートルズのためなら何でもやった。レコード会社に売り込むために「もしデビューさせてくれるんだったら、5000枚は自分の働いているレコード屋で買う」とまで豪語いたらしい。普通のビジネスマンだったら、こういう無謀なことは言わないはずだ。メンバーに無償で宿を提供し、彼らのためにスーツをそろえた。何をやってもダメだったブライアンが、ただ1つ、ビートルズだけには徹底的にのめりこんだ。

ブライアンのビートルズに対する情熱は、単なるバンドとマネージャーというお互いの立場を越えた、もっと恋愛に近いものだったのではないかと思う。別に彼がホモセクシャルだったからというわけじゃなく、何と言うかマイノリティ同士の連帯意識というか、ここで、これを成功させなければ、自分の人生はまるで意味のないものになってしまうんじゃないかという不安感。それがあったからこそ、彼はビートルズに生涯を捧げたのだろう。

一番ビックリしたのが、1967年にブライアンがドラッグで死んだのが、まだ32歳だったという事実。あまりにも若すぎる。そう、ブライアンもビートルズのメンバーも、本当に青春の真っ只中だったのだ。ライブをやめてしまったビートルズのメンバーが、ブライアンに「音楽的なことはボクたちにまかせて、キミは商売の事だけ考えろ」と言ってたらしいが、悪気はなかったにせよ、ちょっとブライアンにとっては可哀想な話ではある。本当にブライアンにとって、ビートルズはビジネスにすぎなかたのだろうか?もちろんそうではないだろう。彼にとってビートルズは、一番の友人であり、恋人だったに違いないのだから、当のビートルズにフラれてしまうことは、何よりも耐えがたいことだったに違いない。

彼がいなかったら、本当にビートルズはボクらの耳に一生届く事はなかったのかもしれないのだ。世界中のビートルズ・ファンは、ブライアンに何よりも感謝しないといけないのである。ありがとうブライアン。

本日のピックアップ

The Beatles「Rubber Soul」(1967)

「Nowhere Man」は、ジョンがパラノイア状態だった自分のことを歌った歌ということだけど、番組の中で流れた時には、まるでブライアンに捧げられた曲のように聴こえた。
   「あいつはどこにも行き場のない男
    実現しない空想の国に閉じこもり
    誰のためともなく   
    どうなる当てもない計画をたてる」
(なべ)