ボクにとって、じゃがたらは特別な存在です。初めてライブに行ったのが高校生の頃でした。その時は彼らのレコードを聴いていなかったのですが、何となく楽しそうなバンドだなぁと思って、何の予備知識もなく観に行ったんです。もう本当に興奮しました。1曲が10分以上もある大所帯バンドのファンキーな演奏にノックアウトされたと同時に、ボーカルの「江戸アケミ」という人の存在感がすごく気にかかったのです。ファンキーな黒人音楽的なノリとはミスマッチしたぶっきらぼうで、言ってみればノリの悪さをあえてひけらかしたようなボーカルに、最初は違和感を憶えたのも事実です。が、その後、彼らのレコードを少しずつ聴いていって、江戸アケミの存在が自分の中でずっと大きくなっていったのです。ひとりの人間として、非常に魅力的な存在でした。

江戸アケミは、いつも「ロック、ロック、ろくでなし」なんてことを言ってました。日本人がロックをやることの不器用さ、カッコ悪さ、そんなものを引きずりながら、それでも踊っていようじゃないかという刹那的なグルーヴが実に胸に痛いのです。フェラ・クティを意識した長尺のアフロ・グルーヴ。フランク・ザッパを思わせる奇抜な展開とエロ・グロ・ナンセンス。それらはすべてじゃがたらが意識しながらも聴いていた海外のアーティストだけれど、最終的には、全然手馴れていないワザで消化する。だけど、嘘をつかない。自嘲的ではあるけれど、メッセージはすごく誠実。日本中がバブルで浮かれていた80年代という時代に、まるで冷水を浴びせるかのように暗黒のインディーズ界で脈々と君臨していた実にタフなバンドだったのです。

ご存知の方も多いですが、最初期のじゃがたらは、非常にパンク的で、全裸で額から血を流しながら歌うというスキャンダラスなイメージのイロモノ・バンドでした。それがやがて音楽で勝負するようになるのですが、何かに追い詰められるような切迫感を常に抱いていた江戸アケミは、遂に発狂します。そして精神病院を退院後、おぼつかない歌声ながらも、見事に復帰し、やがてバンドはまとまり、メジャーデビューし、これからという時にアケミは天国行ってしまいました。ボクはライブを観たばかりだったので、その死はショックでした。それ以来、ボクにとって「じゃがたら」は特別なのです。

彼らのアルバムでは、何と言っても「南蛮渡来」('82)が一番好きですが、この「踊り明かそう日の出を見るまで」('85)も、じゃがたらというバンドの本質を見事に表したライブ盤の名作だと思います。これはカセット録音で音質も悪いのですが、アケミの発狂前のライブをA面に、退院後のライブをB面にしているという、あまりに壮絶でリアルなドキュメンタリーになってます。発狂するほど壮絶な演奏を収めたA面に震え、何かが抜け落ちたような無力感が漂うB面に泣ける。じゃがたらこそ、本物の日本のロック・バンドでした。彼ら以外の日本のロックなんて、所詮はファッションでしかないと、暴言の1つも吐きたくなるほどに。