はっぴいえんどのラスト・アルバム「HAPPY END」('73)は、何と言ってもジャケットが印象的ですね。まるで50年代のアメリカの雑誌から抜け出てきたようなカップルの写真は、そのまま「洋風なアルバム」という印象をリスナーに感じさせてくれます。内容の方も全2作にあった「東京」というイメージはすっかり抜けて、世界中のどこでもない風景を描いているような歌詞が多いです。オープニングのタイトルが「風来坊」というのも、何だかそれとリンクしているみたい。

「洋風」と書きましたが、実際このアルバムはL.A.レコーディングでした。もともと解散状態だったバンドをまとめさせるためスタッフ側から出た提案が海外レコーディングだったというわけです。彼らも、そのおいしい話に、何とか再結成しました。レコーディングに参加したリトル・フィートはちょうど「ディキシー・チキン」をスタジオで録音していて、その風景を目の当りにしたメンバーは、かなりショックをうけたという話もあります。

細野晴臣は「風来坊」や「相合傘」で自分から歌詞を書いていますが、そのどちらも歌詞の内容の意味を重視するのではなく、単純に言葉のノリだけで作っているような感じが、むしろアンチ・はっぴいえんどという感じの自嘲的なユーモアを感じさせてくれます。しかし、これもまたはっぴいえんどだったのですね。

鈴木茂は、ソングライターとして急成長したかのように、「氷雨月のスケッチ」や「明日あたりはきっと春」のようなメロディアスな曲を提供しています。

反面、大瀧詠一は、何と言っても初のソロ・アルバム「大瀧詠一」('72)に名曲を詰め込みすぎたのか、ここでは2曲のみの曲提供。アナログA面では、まったく彼の曲が登場しないということもあって、どうも存在感がないのも事実。

こうしてはっぴいえんどというバンドは幕を閉じました。彼らがどんなに日本語による新しいロックの理想系を提示しようとも、当時の日本の音楽界では、それはなかなか理解されるものではなかったのです。また海外レコーディングで、更に自分たちの本来の居場所を失ってしまったような一種の寂しさも、このアルバムにはあります。だからこそ、ラストを締めくくるのは鬼才ヴァン・ダイク・パークスの変テコなアレンジが冴える「さよならアメリカさよならニッポン」なのでしょう。真の開拓者はいつでも孤独なものなのです。