たとえば「イパネマの娘」のようなボサノヴァを聴いていると、たいてい夏の日差しを浴びて海辺で遊んでいるような、そういうバカンス的な情景が浮かぶんものですよね。でも、このカエターノ・ヴェローゾガル・コスタの「ドミンゴ」('67)は、一応ボサノヴァっぽいとはいえ、何だかちょっとイメージが違うんです。暗いとまでは言わないけど、どこか沈み込んでいくような憂いを感じ、何だかとても切ない気持ちにもなります。切ないというより、こうやるせない感じとでもいいますか。

このアルバムを聴く度に、ボクはある風景が浮かんできます。それはビーチで海水浴しているバカンスな人々の風景ではなく、たとえば現地の労働者が、つかの間の休息で近所の地べたに寝転んでいるような、とても現実的な生活人の風景とでもいいましょうか。ジャケットも、そんな感じがしませんか。ブラジルの町外れの、日の当たらない路地の石畳で、隠れるようにしゃがみこむ二人の男女。その表情から、カップルというより兄と妹が家計のやりくりの話をしているよう(あくまで想像)。いや、カエターノの本当の妹はマリア・ベターニアでしたか。

カエターノは、やはりジョアン・ジルベルトにノック・アウトされたミュージシャンの1人なので、この手のボサノヴァっぽいロマンチックな曲調に落ち着いた歌声がバッチリはまっています。それにしても実質的なファーストにあたるこのアルバムにおける彼のソングライティングの素晴らしさといったら!もう、この時点でカエターノ節ともいうべき独特の美しいメロディが完成しているわけですから恐ろしいものです。まぁ、最初から大物は違うなぁと。

ふたりの歌声は、とてもリラックスしているようにも聴こえますが、よく聴くと不思議な緊張感があるような気がします。控えめなのは当然として、どこか怯えているような表情すら感じます。当時のブラジルの保守的な軍事政権による抑圧された芸術環境ゆえなのでしょうか。しかし男気溢れるカエターノは、その後ロンドンに亡命するまで、軍部の独裁政権と真っ向から闘う表現活動していきます。それだけに、この「ドミンゴ」で聴かれるオーソドックスともいえるオーケストレーション主体の音作りは、嵐の前の静けさのようなものですね。美しくも危険な香りがするボサノヴァの名盤だと思います。