ボクは音楽をクリエイトしている時、外にバーっとハジけたいときと、内にこもって黙々とやりたいときと、2通りの感情をいったりきたりするものですが、ルイ・フィリップはどっちのタイプでしょうか?おそらく後者かな。ただ、黙々といっても暗いわけでもなく、自己中心的というわけでもない。ひたすらロマンチックな旋律にウットリしつつも、こちらが心を開かない限り、その音楽はどんどん遠くへ逃げていってしまいそう。

彼はフランス人で、80年代にボーダー・ボーイズとアルカディアンズというグループで活動した後、エル・レーベルでソロ・アルバムを淡々と発表していきました。現在もソロやアレンジャーとして活動しているんですが、これが全然変わってないんですね。相変わらずロマンチックで美しいメロディーと品のいいアレンジで楽しませてくれるんですが、どうにも「線が細い」。この「線の細さ」でちょっと損をしている人なんですが、ボクは、この才能の大きさに反比例するようなアマチュアっぽさが魅力的に映るんですよね。でも、こういう人は、やっぱり難しいかな。いくら音楽がビーチ・ボーイズに似ているからといっても、下世話に模倣するわけでもなく、かといって強烈にオリジナリティを醸し出すわけでもなく、常にフラフラと。

いいじゃないですか。憧れは憧れのまま、自分は気長に自分の音楽を細々とやっていこう、という精神。ボクはこれを「ポップの箱庭」と呼びたいですね。箱庭であるから外には開かれていない。それを精一杯「のぞこう」とする人には見える美しさも、ただぼんやり流行のヒット・チャートだけを盲目的に追いかけている人には絶対に届かない。そんな小さな箱庭のような音楽。次々と「自分たちには才能がある」と過信したミュージシャン達が、必死でロック界に革命を起こそうと躍起になっているのを尻目に、もくもくと自分で見つけた小さな庭をデコレーションしていく。もうこんなミュージシャンになれたら、老人になるのも怖くない。

「アイボリー・タワー」('88)を初めて聴いたのは高校生の頃。今にも雨が降り出しそうな曇り空を窓から眺めながら聴いたタイトル曲は、海の向こうのビーチ・ボーイズとは違って、ハッキリと近いところから聴こえてきたのです。ルイはフランスから、ボクは日本から、ボンヤリとしたイメージの中で、ヨーロッパを横断し、アメリカ大陸に渡り、ゆっくりとメキシコの方へと空想の旅をしていたのでしょう。

音楽以上に面白いのがルイ自身が書いたライナー・ノーツ。意味がさっぱりわからない。妄想にもほどがある。そんな独りよがりの解説を読みながら聴いてみるのも、また美味なのです。やっぱりルイ氏には死ぬ前に、一度会って話をしたい。