ただひたすら、この曲が聴きたいだけで、ついつい手が伸びてしまうエヴリシング・バット・ザ・ガールの「エデン」('84)。いや、もちろん他の曲だって悪くない。だけと、やっぱり1曲目の「Each And Every One」に尽きるでしょう。ある世代(ボクと同じか、ちょっとぐらい上の世代)の人たちにとっては、ボサノヴァといえば、「イパネマの娘」でもジョビンでもジョアンでもなく、「Each〜」なのです。実際に、これが本当にボサノヴァなのかどうかは別にしてね。小沢健二は、昔「Each〜」のことを、「ボクが、この先どんなことがあっても、この曲をずっと好きでいられる自信がある」といったような発言をしていたことを思い出しました。

何故か日本で、スタイル・カウンシルなどと同様、妙に当時からお洒落さんみたいに扱われてきたのが、こういう音楽ですが、実際お洒落でもなんでもないのよ、これって(笑)なんか身近な「友だち」のことを思い出しちゃうような音楽ですね。実際、ボクの周りの友だちのミュージシャンは、パンクとかハードロックみたいなのとかやってる人って全然いなくて、みんな「ジャズ風」だったり「ボサノバ/ブラジル風」だったり「ソウル風」だったりするポップスとか、そういうのをやっていたりする人が何故か多いんです。つまりはエヴリシング・バット・ザ・ガールが、この頃やっていたようなことを、知ってか知らずかやってるような人たちばかり。そして、ある意味、ボク自身(blue marbleも)も、ちょっとだけ近いところに存在しているのかもしれません。

こういう音楽は、「なんとか精一杯、大人っぽくしよう」とすればするほど、逆に「若さ」を露呈してしまうものです。しかし、ともあれ、あまりお上手とは言いがたいベン・ワットのボテボテした指弾きセミアコ・エレキの音を聴けば、人柄の良さは、かなり伝わってくるものがあるんですが。反面、トレイシー・ソーンのボーカルは、この頃から堂々としてるなぁという印象。彼女の低い声と切なさを感じさせる独特の歌いまわしは、まぁワン・パターンとはいえ、見事にどんな音楽のスタイルにも相性はバッチリなのです。その昔、マッシブ・アタックが彼女をゲスト・ボーカルに招いたことがありましたが、その曲だけエヴリシング〜っぽいと感じたのはボクだけ?

ジャケットをボンヤリ見てると、あの頃のイギリスのインディーならではの気だるい空気感が伝わってきて、わけもなく懐かしい気分に。悔しいけれど、これまたボクの青春の1ページを飾るアルバム。