大滝詠一さんがお亡くなりになった後、しばらく数週間は、さまざまな方のツイートをぼんやりと眺めて思いを巡らせていました。一番印象的だったのが「大滝さんの音楽が好きなミュージシャンは、もしかしたら自分の音楽を大滝さんが聴いてくれるかもしれないという願望を元に制作していたのではないか」といったものでした(誰のツイートか忘れたので、だいたいのニュアンスです)。そうかもしれません。自分も大滝さんに作った音楽を聴いて欲しかった。たぶん小さな苦言か、もしくは流されたでしょうけど。


何故か大滝さんのことを、ファンは「師匠」と呼びます。いろいろと大好きなミュージシャンがいるとしても「師匠」だなんて呼んで、呼んだ本人も呼ばれた方もしっくりとくるような方が他にいるのでしょうか。多大な影響を受けたという意味で、大滝さん以上のミュージシャンを今は想像できません。大滝さんのサウンドは過去と現在と未来が鮮やかに交差していきます。もし大滝さんがいなければ、その後50〜60年代の英米のヒットポップスを積極的に遡って聴いてみようと自分は思っていたかどうか。


そんな大滝さんの生前最後の仕事が、このEACH TIMEのファイナルリマスター。ジャケの「ファイナル」の意味が今となっては別の意味合いになってしまって悲しいですが。このアルバムは初めてちゃんと聴いた大滝さんのアルバムでした。確か中学校に入ったばっかりの頃でしょうか。当時同じように愛聴してたのが南佳孝さんの「冒険王」で、どちらも全曲が松本隆さんが作詩という共通点があります。ちょっとキザだけどナイーブな大人の物語に切なくドキドキしながらも、ぼんやり憧れていた子供でした。