細野晴臣のソロ作品には傑作が多いけれど、この「Hosono House」('73)は、何か特別な匂いがします。このアルバム以外のソロ・アルバムには、「ハリー細野」であったり「YMOの細野」であったり、そういった「音楽家細野晴臣」という人が堂々とそびえ立っている感がありますが、この「Hosono House」というアルバムは、まさに「人間・細野晴臣」という彼自身のパーソナルな雰囲気がにじみ出ている実にアット・ホームな作品です。作詞も細野自身が手がけていますが「恋は桃色」のようなラブ・ソングもシャイな感じがあって、とても好感が持てます。

アット・ホームなのは当然で、このアルバムは当時、彼自身が狭山に住んでいた自宅に、ミキサー吉野金次が所有するレコーディング機材を持ち込んで制作された作品なのです。つまりザ・バンドなんかがやっていた「田舎にミュージシャンが引きこもって時間の制約を受けずにのんびりとレコーディングする」という方式。そのため、音の質感はもとより、演奏の雰囲気もザ・バンド的な土臭いアレンジが大半を占めています。この「土臭さ」が、実は当時のトレンドでもあったのです。

音楽評論家の北中正和の名著「アローン・アゲイン」という本に、この当時の「Hosono House」というレコード作りの過程が詳しく書いてあります。それによると、この狭山の自宅は12畳相当の居間と8畳相当の部屋がふたつ。それにキッチンとバス、トイレ付きで、家賃2万数千円だったそうだ。う〜ん、広い。安い(笑)あ、でも当時の2万だから、いまだと10万円ぐらいの感覚なんでしょうか。ただ、その広い部屋も、さすがにレコーディング機材と数人のミュージシャンが出入りすると人口密度は高く、のんびりというよりも、かなり賑やかなレコーディングだったそうです。当時の細野氏の奥さんは、ミュージシャン達にお茶を出したりケーキを出したり、大忙しだったそう。

しかし、そんな自宅に出入りしていたのがドラムの林立夫やキーボードの松任谷正隆、ギターの鈴木茂だったいいますから、今となっては何と豪華なメンバーでしょうか。そうなのです。つまり、この「Hosono House」というアルバムが、キャラメル・ママというバンドを産んだのですね。そしてキャラメル・ママは、当時新人女性シンガー・ソングライターだったユーミンこと荒井由実のバッキングで名を知られ、その後ティン・パン・アレイというプロジェクトに発展し、70年代中期の日本のロックに欠かせない存在へとなっていくわけです。