細野晴臣

「冬の扉」ではなく「扉の冬」です。まちがえて覚えている人、結構多いみたいですね。ちなみに演奏はティン・パン・アレーではなくキャラメル・ママです。ま、これはどっちでもいいか。よく和製ローラ・ニーロといわれるこのアルバムですが、当時のローラ・…

小坂忠のBOXセットは買っていないけど、何でも本作収録の「どろんこまつり」が歌詞に問題ありということで、オミットされたらしです。細野晴臣作詞作曲の名曲なんですけどね。「つんぼ」ってのがマズかったのかな。2曲目で、アルバムの流れを決める重要…

夕焼け楽団だからサンセッツ。イメージチェンジながら、自然なバンド名の変化です。久保田真琴というミュージシャンは、昔から理屈で考えるよりも、まず即実行という音楽の快感原則に忠実な人という印象なのですが、ここでもニューウェイヴというか、かなり…

前々から思っていたことなんですが、細野晴臣は「バンドを結成している瞬間」にこそ音楽をやり続けることの醍醐味を感じている人なんではないでしょうか。つまりは、ものすごく飽きっぽい人。今回の新譜がカントリーでも、さて次回は?・・・なんて、すぐ変…

誤解を恐れずに言うなら「和製ライ・クーダー」かな。久保田麻琴と夕焼け楽団の「ハワイ・チャンプルー」(1975)です。ライ・クーダーもハワイ音楽や沖縄音楽みたいなことをやったりしてましたが、いやいや、この分野にかけては久保田&細野コンビの方がはる…

誤解を恐れずに言うなら「和製リトル・フィート」かな。久保田麻琴と夕焼け楽団の「ディキシー・フィーバー」(1977)です。個人的には、前作「ハワイ・チャンプルー」(1976)のトロピカル路線の方がより好きだったりしますが、ストレートでナチュラルなロック…

ノン・スタンダードを閉鎖し、エピック・ソニーから発表したオリジナル・ソロアルバムが、この「オムニ・サイトシーイング(Omni Sight Seeing)」('89)でした。いわば音楽による世界旅行であり、その案内人が細野晴臣というわけです。環境音楽をもじって「観…

アニメ映画「銀河鉄道の夜」のサウンドトラック盤('85)。細野晴臣ファンのみならず、いろいろな人が「あのサントラは好き」と公言し、いまだに根強い人気があるアルバムです。原作はもちろん宮澤賢治で、登場人物がすべてかわいらしい猫に置き換えたという…

イタリアで開催された日本展のために作られた音楽が、モナド・レーベル第4弾にあたる細野晴臣の「エンドレス・トーキング」('85)でした。なんと公園に設置された13体のロボット型の造形物から、3分前後のテープがエンドレスで鳴り続けるというユニークな…

モナド・レーベルの第3弾「パラダイス・ビュー」('85)は、沖縄で撮影された同名映画のサントラ。何と琉球語のセリフに標準語の字幕がつくと言う不思議な作品。全編ロケにより40日間で撮られました。細野晴臣自身も森の司祭という役で出演し、他にも戸川純…

モナド・レーベル第2弾が、この「マーキュリック・ダンス」('86)でした。青一色のジャケは、よく見るとカーテン・レールのような影があり、そこに白く浮き上がるシンプルな文字ともども大変美しいジャケット。中味の音楽は「ダンス」という言葉に相反するよ…

細野晴臣は、ノンスタンダード・レーベル制作時に、自分の中にある「動」と「静」が二極化し、それがハッキリと曲作りに現れてきたといいます。そのために「静」の部分を強調したような、もうひとつのレーベル「モナド」を同時進行させることが、彼にとって…

「Decline Of O.T.T」を完成させたF.O.Eは、何とジェームス・ブラウンの前座でライブをしたのですが、ここでJ・Bファンの客から大ブーイングの嵐が起こってしまうという事件がありました。実は、このライブの時点ではまだF.O.Eは1stシングルすら発表され…

F・O・Eというのは、細野晴臣だけがメンバーではなく、他にもYENレーベルから細野氏プロデュースでデビューしたインテリアというバンドのメンバーだった野中英紀、そして作曲家、アレンジャーとしてアイドルなどを手がけていた西村麻聡という3人が、…

友達なのか敵なのか(Friend Or Foe?)。そんな意味深なタイトルの12シングル2枚、80年代半ばに発表した細野晴臣のプロジェクト、それがF・O・E(Friend Of Earth)でした。キーワードはオーバー・ザ・トップ(O・T・T)。日本語にしたら「やり過…

この「S・F・X」('84)というアルバムが発表された頃のミュージック・マガジンのクロス・レビューで、中村とうよう氏が「坂本がソロになるとお芸術っぽくなるのに、細野はテクノ道を突き進んでいる」みたいな発言をしていましたが、当時の自分もまったく同…

細野晴臣がYENレーベルに続いて設立したノンスタンダード・レーベルの第一弾12インチシングル。このレーベルは2つの趣旨から成り立ってます。1つはポスト・テクノ・ポップの「ノンスタンダード」。もう1つはポップスすらも越えた実験音楽を目指した…

「花に水」とは、なかなか洒落たタイトルですね。YMO散開後の84年に発表された細野晴臣のカセット・ブック作品で、音は前年に無印良品の店内BGM用に制作されたものらしい。カセットのA面とB面に、それぞれ長い曲が1曲づつという構成で、それぞれ「あ…

テクノというのはプログラミングのワザが重要な音楽なので、念入りな計画を元に作り上げるような印象もあるのですが、実際には即興でリズムやコードなどを打ち込んで、あとから肉付けしていく作業していく方が予想もつかない面白い音楽が出来る可能性があり…

「はらいそ」という充実した傑作を作ったにもかかわらず、細野晴臣は精神的にかなり行き詰まっていたらしく、音楽を止めてしまおうと思うまで追い詰められていたようです。この時、本気で「導師(グル)を求めていた」らしいのですが、そのあたりの経過は「…

その昔、テレビ朝日でやっていた「AVガーデン」という深夜番組を憶えていらっしゃる方いますでしょうか?たしか80年代後半だったと思いますが、サエキけんぞう氏が司会のこの番組、毎週のように細野晴臣氏が登場してました。この番組、あのティン・パン…

細野晴臣の「泰安洋行」('76)は、古今東西、ボクがいろいろな音楽を聴いてきた中で、最もインパクトがあった作品でした。このアルバムは発売当時は全然売れず、一部の熱狂的なファンや海外の先進的なミュージシャン(ヴァン・ダイク・パークスやジョン・セバ…

ボクが幼少の頃、父親がやたらに家族をほったらかしにして1人で海外旅行していたような記憶があるんですが、今思うと、あれは仕事なのか遊びなのか。いまだによくわかりませんね。でも、ボクはそのころから「大人になるということは、海外に行くという事だ…

細野晴臣のソロ作品には傑作が多いけれど、この「Hosono House」('73)は、何か特別な匂いがします。このアルバム以外のソロ・アルバムには、「ハリー細野」であったり「YMOの細野」であったり、そういった「音楽家・細野晴臣」という人が堂々とそびえ立っ…

はっぴいえんどのラスト・アルバム「HAPPY END」('73)は、何と言ってもジャケットが印象的ですね。まるで50年代のアメリカの雑誌から抜け出てきたようなカップルの写真は、そのまま「洋風なアルバム」という印象をリスナーに感じさせてくれます。内容の方…

はっぴいえんどがすごいのは、大瀧詠一、細野晴臣、鈴木茂、松本隆と、このメンバーの誰か1人抜けてしまっても成り立たないほど、それぞれのミュージシャンが音楽性を決める重要な役割を担っているという点ですね。まさに最強のメンバー。そのそれぞれが持…

このはっぴいえんどのファースト・アルバム「はっぴいえんど」('70)も、聴いたのは小学生ぐらいの時。確かURCの再発盤のレコードを兄貴が買ったんですよ。当時はYMOブームで細野晴臣も絶好調だったし大瀧詠一の「ロンバケ」も流行っていたし、松本隆は…

細野晴臣という人は、ものすごくファンキーなのですね。それは自身のソロ・アルバムだけでなく、他のアーティストや歌謡曲を手がけた時でさえ、何かこう腰にグッとくるリズムを提示してくるんですよ。テクノというのは単純なピコピコというのも一種の芸だっ…