細野晴臣の「泰安洋行」('76)は、古今東西、ボクがいろいろな音楽を聴いてきた中で、最もインパクトがあった作品でした。このアルバムは発売当時は全然売れず、一部の熱狂的なファンや海外の先進的なミュージシャン(ヴァン・ダイク・パークスジョン・セバスチャン)を除いて、ほとんどの人が「難解」と決め付けてしまった音楽のようです。

しかしYMO以後、再発盤が出るたびに、どんどんと評価は高まり、80年代後半のワールド・ミュージック以後は、完全に先取りした名盤として認知されるようになりました。そして恐ろしい事に、発売から30年たった今でも、この音楽は容易に消費されつくされるような音楽ではないということです。これほどコンピューターが万能の時代になっても、インターネットやリイシューCDなどによって世界中の音楽が聴けるような情報溢れた世界になっても、この「泰安洋行」のような音楽は並みのミュージシャンには容易に作ることは可能ではない音楽といえます。

このアルバムの成功は、細野晴臣というアイデアマンとしての才能と、ミュージシャンとしての技術、そしてそれを再現することがてきた当時のティン・パン・アレイ周辺のスタジオ・ミュージシャンの力量によりところが大きいです。とくにドラムスの林立夫のグルーヴ感は、まさに細野晴臣の持っているアイデアを具体化してくれる素晴らしいワザを連発していて、聴く度に溜息が出ます。ちなみに海外の凄腕ミュージシャンと共演することの多い矢野顕子が、外国人に「泰安洋行」を聴かせると、向こうのミュージシャンは「これはボクたちには再現できない」と絶句してしまうそうです。この話だけ聴いても、いかに「泰安洋行」が世界中のどこにも存在しえないようなオリジナリティ溢れる音楽だったかということがわかりますね。

当時日本で、「泰安洋行」に唯一近い音楽性を持ったものは、やはり親友でもありライバルでもある大滝詠一の「ナイアガラ・ムーン」というのも皮肉です。大滝詠一ニューオリンズ・ファンクを自己のアメリカン・オールディーズ感に基づいて、それらの知識を複合させて、いわば「瞬間1発芸」的に展開しているところが面白かったのですが、細野晴臣の場合は、ニューオリンズ的なグルーヴを頼りに、もっと東洋的なルーツを辿るように展開していくところに「細野的」とも言うべき面白さがあります。同じニューオリンズというイコンを共に抱えながらも、大滝は西に向かい、細野は東に向かったのです。

泰安洋行」の魅力は、前作同様、八木康夫がデザインしたジャケットにも集約されています。この髭男のポートレイトを眺めながらアルバムを聴いていると時代感覚がわからなくなるような不思議な感覚になります。細野晴臣のメロディーが持つ、その独特のエキゾチズムは、その後、当時彼が発見したというマーティン・デニーや沖縄音楽の類を聴いても、ついに得られる事の出来なかった音楽だったのも事実でした。そして今後も「泰安洋行」のような音楽は細野晴臣という人以外には作り出すことが出来ないものだと思っています。