YMOの「テクノデリック」('81)は当時リアルタイムで聴いてはいましたが、買ったわけではなくレンタルで借りてテープにダビングしてよく聴いてました。そのカセット・テープの曲目表記を、なぜかボクはアルファベット型の「ハンコ」で手押しして作りました。たしか前作「BGM」の歌詞カードは、そんなようなアルファベットのハンコのデザインだったので影響されたのでしょうか。それがボクという小学生なりのテクノなアプローチだったというわけです。そんな風にYMOから影響を受けた人たちは、それぞれ自分なりの「テクノ」というものを暗中模索しだしたのです。もはやテクノは、単にシンセサイザーのピコピコ音にとどまらないほど守備範囲をひろげてしまったのですね。なにしろYMOが漫才番組に出てコントをやったとしても、それすら小学生のボクには「テクノ」な印象を残してくれたのですから。

だからこそ「テクノ」という名がついたアルバムをわざわざ彼らが発表することで、どこかしら王道のテクノと、それに反発するようなアンヴィヴァレンツな感情が垣間見れるのが、この「テクノデリック」というアルバムかもしれません。もはやこの頃になると「テクノ」というのは、彼らの目指す音楽ではなく、むしろバラバラになりそうな個性的な3人を「YMO」というグループに引きとめる唯一の手がかりのようなものです。そうそう「手がかり(KEY)」という曲もあるくらいですから。しかもこの曲、前作の「CUE」のパターンをそのままテンポ・アップしたような曲なので、この時点でYMOがYMOをセルフ・パロディをしている感すらあります。

アルバムの特徴は、まずサンプリングの大胆な使い方。まだ一般的には普及していなかったサンプラーを使った始めてのポップス・アルバムがコレだといわれています。ドラムの音のかわりに工場のノイズ音を使ったりしていますが、これが、その後の人気が出てくるインダストリアル・ミュージックを予兆しているようでもあります。さらに「体操」という曲では教授が弾く生ピアノ音がミニマルなフレーズを奏でるために、もはやテクノとは「何でもあり」みたいになっちゃってますね。サンプリングでケチャのコーラスを再現したりするもの当時は「どうやっているんだろう」って結構ビックリしたものですが、今となっては懐かしいような恥ずかしいようなアプローチですね。前作「BGM」とツインで語られるアルバムですが、正直チョット慎重に作られすぎて、いまいちYMOらしいユーモアや瞬発力みたいなものに欠けているような気もします。そんな微妙なアルバムかもしれません。

その後のユキヒロ氏が「BGMはロマンティックに暗いけど、テクノデリックはロジカルに暗い」という、すごく的を得た発言をしていました。個人的には何となく秋が似合うような寂しいテクノ・アルバムという印象。それにしても細野氏の生ベースは、ここでもやっぱり強烈ですなぁ。

●本日の更新「ショック太郎のマテリアル・ワールド」
詩人であり小説家でもある富岡多恵子が若き日の坂本龍一と組んで発表した幻のアルバムを紹介。
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=168425&log=20050423