ナチュラル・フォーかぁ。いや、今たまたま聴いてるんですけどね。ファースト(写真)とセカンドは、もう再発される前からアナログ盤でよく聴いたなぁ。その頃(90年代初頭)は、まだフリー・ソウルなんて言葉も無かったし、なんで好きなのか自分でもよくわかりませんでしたが、とにかくヘタしたらカーティスよりもいいじゃんとか、ファンに殺されそうなことまで思うほど夢中だったんですね。これは、いわゆる「思い入れ」というやつです。その後CD化されて有名になったら、かえって醒めて「フリー・ソウルとか言ってんじゃね〜よ」みたいに、半ばヒネくれて別ジャンルへとヒョイヒョイと好みを移していったわけですが、ゴメン、ナチュラル・フォーには何の罪もないです。

カートム・レーベル特有のパタンパタンという乾いたドラムの音が、実に70年代的であります。もうちょっと時代が前だったら、もっとモコモコした音だっただろうし、もうちょっと後だったらディスコに巻き込まれていたであろう、絶妙な70年代半ばのソウル・ミュージック。でもコテコテではなく、都会的でメロウでサラっとしていて、なんと言ったらいいんでしょうか。つまり徹底的に「普通」であることでしょうか。グループ名からして「ナチュラル」ですからね。ファンタスティック・フォーとは違うわけです(何とかフォーってのがソウル系は結構多いな)。普通であること。これは強い。ニューソウルがブームの頃は「社会的な問いかけ」が音楽的な野心と混同されがちでしたから。もちろん、その名残を引きずっていた時代でもあったことが、売れなかった原因かもしれませんが。

コーラスは、あくまでメイン・ボーカルをそっとサポートするだけで、複雑に絡み合ったり、激しくバトルするわけでもない。終始クール。正直ボーカル・グループとして「それはどうなの?」と、当時は突っ込まれても仕方が無いスタイル。・・・とか言う以前に、全然売れてないわけで、果たしてカートム・レーベルにとって、このグループは何の意味があったのかと疑問なのでありますが、少なくともアレンジや曲を担当しているリロイ・ハトソンの「カーティスに負けてたまるか」的な野心は、さりげなく投入されています。おかげで、とにかくハッピーで明るいけど軽薄ではないという絶妙な「ヤング・ソウル」が誕生したといわけです。いや、実際に若いかどうかは知りませんけどね。

正直、似たようなソウル物は他にもあるし、他に聴くべきものがあるよというディープなソウル・ファンの意見も納得なのですが、まぁ、とにかく彼らを知らない人は、このファーストの出だしの2曲を聴いてくださいな。あまりに爽やかでウットリしますよ。最高です。といいつつ、後半はやや飽きる(笑)