「ある日、自分の国を離れなければならなかった」

そんな歌いだしから始まるこの盤は、「カエターノ・ヴェローゾ」とシンプルにセルフ・タイトルが付けられた彼の3枚目(1971年)のアルバム。日本でCD化されたときに「イン・ロンドン」という邦題がつけられましたが、その名の通りのロンドン・レコーディングで、ほぼ全曲英語で歌っているアルバムです。同じくブラジルのエリス・レジーナにも「イン・ロンドン」というタイトルのアルバムがありますが、そちらのジャケットは公園で鳥たちと戯れて楽しそうに笑っているエリスのジャケット写真が印象的でした。しかし対して、カエターノのこのアルバムのジャケット写真はどうでしょう。髭を生やし、毛皮のコートを着て、目の下にクマがあるようにボンヤリとこちらを見つめる表情は、とても暗い表情をしています。

これは、よくある「海外進出盤」みたいな期待と夢に溢れたようなアルバムではありません。なにしろ本人の意思とは無関係に、当時のブラジルの軍事政権による言葉、表現の弾圧によりアーティスト活動が禁止されてしまったカエターノが、しかたなくロンドンに亡命して作ったアルバムなのですから。2曲目のロンドン、ロンドン」という曲でも「巡り巡って いったいどこへ行こうとしているのか?」と、まるで自分に問いかけるように寂しげに歌っています。3曲目の「マリア・ベターニア」とは彼の妹の名前ですが、そんな彼女にカエターノは、ただ「手紙をおくれ」と歌います。「イフ・ユー・ホールド・ア・ストーン」で、カエターノはさらに正直に自分の心情を歌います。
「僕はここの者じゃない。幸せになりに、ここへ来たわけじゃないんだよ。黄金色の太陽は、どこへいったんだ。僕の国のもめごとは、どこにあるんだ。」
そして、このアルバムは、唯一母国語でルイス・ゴンザーガのカバー「白い翼」を静かに歌い、深い余韻の残して終わります。

サウンド的には、アメリカの70年代シンガー・ソングライター風の曲調が多いので、ブラジル音楽をあまり聴かないという音楽ファンにも聴いてもらいたいアルバムです。しかし、歌声からほんのりと漂ってくるサウダージ感覚は、まさにカエターノ・スタイルとしか言いようがない唯一無比のオリジナリティになっているのは確かです。ブラジルのジョン・レノンと言われることもあるカエターノですが、これは彼にとっての「ジョンの魂」ではないか?と。今はそんな気がしています。