人気ポップス・ミュージシャンのお決まりのコースというのがあります。まずシングルを出して、一生懸命プロモーション活動。充分に話題を提供してアルバムを発表。その勢いでコンサートを行いファンを増やしていく。そして大量にプレスされたCDは、ある時期、その役目を終えたかのように中古屋さんに出没していく。内容がよければ何度も再発されコンスタントに聴かれ続け、やがて名盤と認定されていきますが、その時々の流行に乗った音楽は、その流行が過ぎてしまうと、ほとんどは色褪せていきます。大量に売れたのに、もはや誰も必要としないCDは、100円ですら誰も買わずにゴミのように捨てられていきます。


ところで、あのCDの盤ってリサイクルできるのかなぁ。昔はCD盤は高級品で、今のようにパソコンで簡単にコピーしたりとか出来なかったからすごくありがたみがあったんですが、どうも最近は買っても聴かないCDがたまる一方。これって環境にやさしくないですよねぇ。でも音楽配信というか携帯やパソコンでダウンロードして聴くというスタイルにもイマイチ馴染めないんですよね。ジャケットからくるイメージや手ざわり、そういうのが音楽を聴く上でボクにはなくてはならない必要過程なのです。アナログ世代なんですねぇ。最近流行の「紙ジャケット」も、なんとか今のCDを、昔のアナログ並の価値に戻そうという必死な努力に思えてきます。なるほど。たしかにジャケットから盤を取り出した時点で「音楽鑑賞」は始まっている、と、ボクも思っていますしね。


今日、小沢健二の新譜「毎日の環境学」を買いました。紙ジャケ、というかエコパック。シンプルな白黒のかわいらしいイラスト。そして驚きの全曲インスト。でも基本的には前作の音を、ちょっと賑やかにして展開したという感じ。インスト・アルバムがコーネリアスの新譜だったら別に新鮮味もないんですが、オザケンが発表するという事実だけで、なんだかボクには深いメッセージを感じるのです。なんだか実際の音そのものより、そのメッセージに思いをはせるというだけで、充分に「音楽」に成り立っているというのが、何だか素晴らしいなぁと思うのです。


このレビューの長い前置きは、このCDを聴いてふとボクが思ったことです。ボクは最近のオザケンがもつ独特の「世間とのズレ」が好きです。そのズレからくる独特の世界観は、おそらく「おそろしい仕組みをつくって人びとをいじめている者たち」(帯の文から)には永遠に理解できないものなのかもしれません。