もし音楽が配信だけのものになってしまったら、あがた森魚のようなアーティストは、どうなってしまうのでしょう。この人こそ、自身の音楽を包み込むパッケージというものに執念を燃やしたミュージシャンはいません。これは77年から制作され85年にLP3枚組として発表された自主制作盤で、まさに彼の「執念」が産んだ幻の名作。


パッケージがすべてだからといて、中身の音楽がどうでもいい、というわけではありません。最終的にパッケージ化されることを前提に作られるという事実こそが、あがた森魚の音楽を作る大きな原動力になっているのではないかと。「二十世紀完結篇」としてCD化された時のブックレットの厚みも尋常ではありませんでした。


SEのようなコラージュやインストもあり、そのメジャーではありえない「ゆるさ」が時間感覚を麻痺させてしまう旅のスケッチのようなアルバム。細野晴臣がアレンジした「淋しいエスキモウの様に」は、なんとモロにフィル・スペクタームーンライダーズ大貫妙子も貢献度大。たしか緒川たまきの大愛聴盤という話も。